プロフィール | 藤田明 鉛筆画作品集 empty colours (AKIRA FUJITA) pencil drawings "grayscale"

鉛筆にも、まだできることがある...

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(読み飛ばしても差し支えのない)これまでの身の上話

あまり面白くない生い立ち

1967年に宮崎県延岡市で生まれました。父は札幌、母は東京の出身で、二人が結婚した頃に父の転勤に伴って引っ越した町で僕は生まれたのです。その後何度も引越しを経験したので、説明が面倒な時は現在の実家がある「東京出身」と言うこともあります。後に自分自身の仕事の転勤で赴任した静岡県浜松市に居着いてしまいました。要するに、僕にはいわゆる「ふるさと」というものがありません。

両親は幼い頃に音楽や美術の教室に通わせてくれたりはしましたが、自分たち自身は音楽や美術に夢中になるようなひとではありませんでした。1967年といえば、The Beatlesが「Sgt. Pepper's」を発表し、イギリスでPinkFloyd、アメリカでVelvet Undergroundがデビューしたサマー・オブ・ラブの年ですが、両親はヒッピーではなく、サイケデリック・カルチャーとも無縁の、堅実な会社員でした。

「フジタ」という日本人画家といえば、99.99%の美術ファンが、エコール・ド・パリの巨匠「藤田嗣治(Léonard Foujita/Fujita)」のことを思い浮かべることでしょう。でも何の関係もありません。また「アキラ」という名前も、大友克洋の漫画「AKIRA」はもちろん、日本映画界最大の巨匠「黒澤明」監督とも、誠に残念ながら、全くなんの関係もなく名付けられたものでした。


音楽と美術

小学校5-6年生の頃の恩師に心酔して入部した吹奏楽部で打楽器を担当した頃から、音楽に興味を持ち始めました。当時圧倒的な支持を集めたYMOなどシンセサイザーを使った新しい音楽や、John Lennonの死によって新たな注目が集まったThe Beatlesなどには特に夢中になりました。

この当時のクラスメートにはセンスがあって優秀なひとが多く、彼らに影響されてお互いに競うように、また一緒に協力し合って、沢山の音楽に触れたことは最良の想い出のひとつです。また彼らとは『Newton』などサイエンスの雑誌や、カール・セーガン博士のドキュメンタリー番組『COSMOS』・『NHK特集 シルクロード』などにも一緒になって夢中になって行きました。この頃に現在の『僕』が出来上がったのだと思う。

高校・大学時代はロック・バンドでの活動にのめり込んで行きましたが、結局のところ、音楽分野では何の成果も残すことは出来ませんでした。しかしながら、才能と知識欲に溢れた沢山の仲間と出会うこととなって、彼らからの影響で音楽以外の分野にも関心を深めて行きました。

中でも、シュルレアリズムを始めとする19世紀末から20世紀の画家の作品には、ロックンロールに感じるのと同じ種類の創造の革新性を感じました。音楽と美術とは使う道具が異なるだけで、全く対等な芸術であり、目と耳を刺激する、同じ一枚のコインの表と裏のように切り離せない関係のもののとして、それぞれにのめり込んで行きました。

ただ当初は音楽の方が自分に合っていると考えていたので、描くことはほとんどありませんでした。

まわりみちをして

社会人になってしばらく経つと、学生時代からの音楽活動の仲間のほとんどとは疎遠になっていた一方で、パソコンや携帯電話の普及によって、シゴトも普段の生活も、そして世の中全体も、急激に大きく変わり出していました。

そんな流れの中で、30歳を迎える頃には、僕自身もCGやWeb制作に興味を持って最初のカイシャを辞め、退職金でMacを手に入れました。Webデザイナーとしてのシゴトを得るためのスキルを学んで行く課程で、次第に音が出るので周囲の人に気を遣う歌や楽器による表現から、ひとりでものめり込める視覚芸術の方に次第にシフトして行きました。

決定的だったのは、1999年頃から通い始めた「はままつ美術研究所」(通称:はま美)の社会人クラスで、同世代の仲間や良い先生に出会えたことでした。親しくなった仲間たちの多くは、僕と同世代のひとでも既に何年も学んでちゃんとしたデッサン力を身に付けてはいましたが、現代美術に関心が高く、いわゆる「手で描く」ことによる絵ではなく、独自の技法や変わった材料・技法を用いた作品制作を持ち味としていました。

この教室への本来の入門の目的だった「デッサン力」はほとんど身に付きませんでしたが、そのような雰囲気があって「正しい描き方」のようなものを押し付けられなかったことが、僕には合っていたのでしょう。ど素人のくせに画集や専門書は山ほど持っていて予備知識だけはあった僕を、生意気な仲間のひとりとして寛容に歓迎してくれたことに、本当に感謝しています。

仲間たちがそれぞれに素材や技法を探究したり、展覧会を開催しているのに刺激されて、僕も「鉛筆」という画材そのものに興味を持って様々な種類の鉛筆を集めたり、技法の探求を面白がって行きました。

最初の個展が実現したのは2003年。以降、浜松市とその周辺での個展活動を続けています。

昔僕は、美しい少女に恋をした。
彼女の名前は、"音楽"といった。

彼女との暮らしは本当に素晴らしいものだった。けれど、
彼女は決して僕のものにはならないということを、やがて僕は知った。
それを受容れることは、とても耐えがたいことのようにも思われた。

でも、僕はあるひとに教えられた。
彼女とは、生涯の親友として共に生きることが出来る。
だから、僕が失うものなど、ほんとうは何もないのだということを。
悔やんだり恥じたり恐れたりする必要など、何もないということを。

それを教えてくれたのは、ずっと僕らの影のように共に歩いて来た、
彼女の双子の妹だった。

彼女の名前は、"絵画"といった。
そして僕は、音楽を描くひとになった。

- - Empty Colours (AKIRA FUJITA) 2012年 - -



ポリシーや芸術論みたいなもの

『白い絵画』

僕の絵では、ほとんどが背景を描いていません。
普通は、背景を描くことで立体や空間の関係性を明確にするのでしょうが、僕の場合は、ちょうどサイエンスの図鑑や考古学の専門書の図版のように、背景を切り抜いてモノだけをぽつんと描くようなスタイルに、いつの間にかなって行きました。

『白い絵画』

僕の絵に余白が多いのは、
オブジェクトが光を浴び
呼吸するための空間を
確保しておくためだ。

オブジェクトと余白の関係は、
音符と休符の関係に似ている。

音符の連なりはメロディとなる。
音符の重なりはハーモニーとなる。

だからといって、
ただ音で埋め尽くしただけでは、
それは「音楽」にはならない。

休符はリズムとビートを生む。
休符は瞬発力と余韻を生む。

 音として聴こえる音と、
 音として聴こえない音が、
 「音楽」を構成しているのだ。

僕の言いたいことは、
だいたいそういうようなことだ。

- - Empty Colours (AKIRA FUJITA) 2002年 - -

『紙の無意識/水の無意識』

鉛筆画家にはものすごく上手なひとが多い。そういうひとたちと比べると、僕はあまりにも下手くそな絵描きです。美大を出た訳でもないし、まともな石膏デッサンが描けたことすらもないのです。

だた「描く」チカラは大したことがないけれど、「見る」チカラはあるのではないかと思う。
巨匠の名画でも、遺跡や化石の写真でも、天文・考古・民族学の専門書の図版でも、一度見たこれはと思うイメージは、目に焼き付き、ココロの書庫にしまわれ、必要な場合に呼び出されて、互いに交じり合います。

それを紙の上に結晶させるひとつの方法を、僕は見つけた。

『紙の無意識/水の無意識』

壁のシミや天井の模様、床の汚れなど、芸術作品のように鑑賞する対象ではなく、本来は何の意味もないものでも、眺めていると何かの形や風景に見えてくるという経験をしたことはありませんか。

夜道で樹木の影が不気味な魔物に見えたり、形を変える空の雲にさまざまな空想を重ねたり...
どうやら、ひとの眼やココロには、たとえとらえどころのない状態の物からでも、「何か」を見つけ出そうとする不思議な性質があるように思われます。

鉛筆の粉で紙を汚し、それが何に見えるかをじっと観察して行くことから描いてゆく技法を、僕は『紙の無意識』と名付けました。

それはいわゆる抽象絵画ではなく、自分本位の想像の世界を描いたものでもなく、まるで、紙の中に元々埋まっていたイメージを、鉛筆で「発掘」して行くような描き方です。

紙を汚すのに水彩鉛筆によるシミを利用する場合には、『水の無意識』と区別して呼んでいます。

いずれも、描き手の僕自身ですら思いも寄らなかった世界を、紙に教えられるようにして描いて行く技法なのです。「技法」というよりも「発想法」のようなものといった方が良いかもしれません。

- - Empty Colours (AKIRA FUJITA) 2007年 - -

『"beautiful barbarians"(麗しき野蛮人たち)』

シュルレアリズム(エルンスト、ダリ、マグリット、タンギー)、象徴主義(ルドン、モロー)、クリムト、クレー、カンディンスキー、岡本太郎など多数の19世紀末〜20世紀に活躍した歴史的な巨匠からも大変大きな影響を受けましたが、同時に、名も無い人々の残した、原始美術や民族美術にも同じくらい大きな影響を受けました。

『"beautiful barbarians"(麗しき野蛮人たち)』

絵を描いたり、身の回りのものに装飾を施したりすることは、生きていくために直接必要となることではないはずだ。なのに、人類の文明の曙のころから「美術」は存在していた。

世界の先史美術には、年代や地域・風土によって、異なる点はもちろん多いのだけれど、そういった時間と空間の違いを超えて、どこか似通ったところもまた感じられる。
それは、
単に未熟な技術や貧弱な道具の制約から描写が単純化されたためによる類似ではなく、何か最初期の人類全体に共通したヴィジョンやメンタリティが存在していた可能性を感じさせられ、大変興味深い。

サルから分化して直立二足歩行を始めた時点では、まだ彼らは類人猿(ヒトに似たサル)と大差ない 獣の一種に過ぎない。だがその彼らが、生きて行くために必死に知恵を絞り、やがて、生きて行くのには必要ではない、たとえば「美術」のようなものにまで手を伸ばしていった時...
その時こそ、
彼らが「人間らしさ」「人間性」の萌芽を獲得した時、他のどの生き物とも違う「人間」になった時であった、と言っても良いのではないだろうか。

原始の美術は、そんな「麗しき野蛮人たち」の最初の雄叫びであったのかもしれない。

- - Empty Colours (AKIRA FUJITA) 2008年 - -

『"patina"』

patina〔pətíːnə, pˈæṭənə パティーナ〕
【不可算名詞】
1.(銅・青銅器などの)古さび、緑青(ろくしよう)
2.(家具などの時代がかった)古つや、古色、古趣

ふつう、動物や虫の死骸や、ましてひとの遺体などは見たくはないものだが、気の遠くなるような時間を経たものの場合は話が別だろう。つまり「化石」という形で目にする恐竜や人類の祖先や滅亡した植物など、奇妙な形をした太古の生物たちの姿(またはその痕跡)には、特別な興味と感動を覚える。

基本的に表面の組織や色彩は失われ、ときには熱や圧力で変形したその姿には、均整のとれた完璧なモデルに感じられるのとは違う、独特の「美しさ」があるように思う。それは過酷な時の試練に耐え、そこにあること自体が奇跡的な存在だからかも知れない。個体の意思を遥かに超えた存在に思えてくる。

古生物学だけでなく考古学も昔から好きだった。人知れず埋もれていた古墳やそこからの壊れかけた出土物に、想像力をかき立てられる。ユネスコ世界遺産のなかでも古代遺跡にとくに興味を引かれる。豪華で壮麗な宮殿よりも、自然と文化が一体化した複合遺産や、巨石を用いて創った先史時代の建造物に惹かれる。

何故だか分からないけれど、もしかしたら、父親の仕事の都合で転校が多く、本来の意味での「ふるさと」を持っていない僕にとって、揺らぐことのない出発点のようなものに魅かれる性質があるのかも知れない。

だからといって、懐古趣味という訳ではない。
その出発点と現在とをつないだラインの延長上に、僕らの未来があるとも感じるからだ。

"Heroes"

「生物の美しさは、それを構成している原子そのものにあるのではありません。
 それらの原子の組み合わせ方なのです。
 宇宙は私たちの内にもあります。私たちは星と同じ物質でできているのです。
 宇宙がみずからを知る一つの方法、それが私たちなのです。」

 "We are a way for the cosmos to know itself." - - - Carl Cagan (1934-1996)

80年代に放送された科学ドキュメンタリー番組『COSMOS』には、The BeatlesやYMOの音楽や、シュルレアリズムの美術と同じ位に決定的な影響を受けました。

その原作者でNASAの天文学者カール・セーガン博士 (Carl Cagan 1934-1996)は、のちに映画にもなった『CONTACT』の著者でもあります。セーガン博士はロックンローラーや芸術家たちと同じく、僕のヒーローでした。

サイエンスの歴史は人間探究の歴史でもあり、突きつめて行くと、深い哲学に達します。科学も芸術とは違う道から、同じ真理を目指していると言えるんじゃないか、なんて思います。

僕は画集に載っている巨匠の作品はもちろん、レコードやCDのジャケットや、サイエンスや考古学の図鑑・専門書の図版からも影響を受けました。絵に背景を描かなくなったは、そのせいかも。

とにかく、ミュージシャンもアーティストも科学者や考古学者も、僕の中では、不可分の存在。等しく愛着や敬意と憧憬を感じます。

 沢山のヒーローたちから学んだ一切合切を
 ミキサーに突っ込んで「がー」ってやると、
 僕の絵が出来上がるって訳です。

『異教徒』ケルト(Celt)美術について

現在は、実際のケルト美術をモチーフにしてそのまま描くような作品は作らなくなりましたが、ギリシャ・ローマ文化とキリスト教的世界観が広く浸透している欧州のど真ん中に異民族の世界観が実に自然に併存していたことは、今もって驚きであり、新しい美術の無限の可能性を感じさせられます。

装飾文様に埋め尽くされたケルト民族の美術を始めて観た時は、文字通り衝撃を受けた。

ケルト人はギリシャ・ローマのひとびとのように神を決して人間の姿では表さない。動物や植物が奇妙に混淆した、不思議な「異形」の姿で表現するのだ。均整のとれた正確な立体や空間の表現には長けてはいないが、抽象的あるいは記号的というか、眼に見えない世界観を、独特の組紐やウズマキなどの装飾文様で抽象的に表現している。

ケルト美術は僕らが良く知っている教科書の王道に位置づけられた「美」とは、根本から違うところから発生しているように思われた。それでも僕らが既に知っている、例えば日本の縄文土器や彩色古墳の文様、イスラム圏のカリグラフィーやアラベスクなどとも妙に似ているところもなくはない。

既に良く知っているものとの共通点があるから惹かれるのかと言えば、そう言えなくもない。しかし、なまじ似ていて非なるものには違和感や近親憎悪を感じることもあるはずではないかと思う。逆に、自分たちとは違うからこそ、衝撃と共に憧憬にも似たシンパシーを感じたのかも知れないとも思う。ここで深層心理学的な分析しても良いのだが、全くきりがない。

ギリシャ・ローマとキリスト教の偉大な伝統がある欧州に、ケルト的な美術が併存して来たことは驚きだった。似ている/似ていないということではなく、両者は互いに何かを補うような関係にあるモノのようにも思えた。

とにかく、僕が頭で理解する以前に、直接ココロの中に入って来たのだった。
僕はケルト人ではない。
ケルト人は僕から見て異教徒であり、彼らから見て僕は異教徒だ。

でもそれが何であれ、僕は「美しい」と思えるものを描くのです。
描くために、他の理由など要らないと思うのだ。

- - Empty Colours (AKIRA FUJITA) 2000年 - -


『鳥を目指す玩具』シリーズをはじめ、『鳥は、光の中に溶けて』シリーズ、『鳥の巣』シリーズ、『鳥は星形の庭に下りる』、『鳥の卵』など、藤田の作品には「鳥」が良く出てきます。
藤田が敬愛するマックス・エルンストも作品に怪鳥ロプロプを登場させ、時には自分と同一視したりもしていますが、決してエルンストを真似た訳ではないのです。不思議なことに、エルンストの自伝やその生涯には他人事とは思えないようなエピソードが出てきて、作品や技法そのものに影響を受けただけでは無く、非常にシンパシーを感じます。エルンストとどこか似たところのある体験をした僕は、似たような感じ方をするように自然となっていったのでしょうか。不思議です。

鳥が特別好きなわけではないし
鳥を飼ったことがある訳でもない。
だけど何故か、
「鳥」のイメージが良く出てくる。

「鳥のように自由になりたい」
なんて言ったら、いまどき陳腐過ぎる。

現実の世界では、過酷な環境への適応と
食う/食われるの容赦無い食物連鎖の中で
鳥たちも生きている訳だから。

人間の世界でも、
色んなことが起こっている。
そのことに全然無関心な僕でもないつもりだ。

それでも、いやそれゆえにか
飛ぶことや宇宙の広がりを感じさせることがらは
僕にとってやはり
「自由」を象徴するものらしい。

僕の住む街が小さく見えるほどの高さへ
国境のその先の星まで見通せるほどの遠くへ
想像の鳥は飛ぶことが出来る。

- - Empty Colours (AKIRA FUJITA) 2013年 - -

『鉛筆は鉛筆でも、違う鉛筆』あるいは『黒鉛中毒患者』

新しい表現の可能性を追求するため、世界中から鉛筆集めています。鉛筆画家として描く技術を磨く努力をしている作家さんは多いと思いますが、鉛筆そのものの性質に着目して、それを本気で利用して描いている作家はあまりいないんじゃないでしょうか。
ほとんどコレクターみたいでちょっとやり過ぎかも知れないけど、それぞれのメーカーが特徴のあるモノづくりをしているのが感じられるのも楽しいものです。

現在様々な種類の「鉛筆」が売られていますが、そのうち僕が制作に使っているのは、黒鉛〔石墨 グラファイトGraphite〕ベースの鉛筆、つまりHBとか2Bとかの硬度がある、いわゆる黒鉛筆です。

色鉛筆やチャコール鉛筆など色のある鉛筆や素材の違う鉛筆は使いませんが、一方で、黒鉛ベースのものなら木軸の鉛筆はもちろん、ホルダー式やチョーク型のもの、黒鉛粉や塊の黒鉛、水彩鉛筆(作家さんでもあまりご存じないひとが多い)も使っています。

黒鉛筆って、どこのメーカーの製品でも同じという訳ではないのです。HB同士で比べても、描き味や色調、光沢、粉の出方、ぼかしの具合等が微妙に異なり、変な話、芯の匂いだって違うのです。

同じ鉛筆を使っても、削り方や持ち方、ぼかすとか消すとか、線で描くとかトーンで描くとかいった技法の違いで、随分と表情が変わるものです。使う紙が違えば、なおさら異なる効果が得られます。

そんなことから、日本国内では手に入らない製品にも手を伸ばして行き、今では800種類を超えるに至りました。今すぐ使うもの一揃いの他に、観賞・撮影用にサラでとっておくもの、そして使えば無くなってしまうのでストックとして余分に買っておいたものなど、同じ鉛筆でも何本かずつ買いますので、全部合わせると恐ろしい数になります。

それを「恐ろしい箱」と呼んでいる箱に収めています、入りきらなくなって、「恐ろしい箱2」、「恐ろしい箱3」...(まだ増え続けています(笑))

僕は、デッサン教室等で教えているような一般的な鉛筆の使い方から離れ、画材として・創作の道具としての「黒鉛筆」の新たなポテンシャルを引き出す技法を探求しています。

それはそれとして、ほとんど、重度の黒鉛中毒患者です(笑)。

- - Empty Colours (AKIRA FUJITA) 2012年 - -




忘れられた美しさ

「もう美術はやり尽くされてしまっている」なんて言ってる先生がいた。でもそうかなあ?と僕は思う。

人物や風景やテーブルの上に並べた瓶や花を
描くのだけが美術ではないと思う。
また、作家の思想や感情をいわゆる抽象絵画という形で
表現する路線もあって良いとは思うのだけれど...

世界にはまだまだ
描くべき美しいモノは沢山あると思う。
僕はそういう皆があまり目を向けていない
「美しさ」に向かうことにした。

僕は、幼い頃から美術教室に通い、美術部で活躍し、美大を出たような、
ある意味正統派の絵描きではない。
自分は絵が巧いなんて思ったことは一度も無い。
不思議な縁や巡り合わせがあって、
本格的に描き始めた時には、既に30歳を過ぎていた。

僕は業界の動向に精通し、賞を獲りまくったり、著名な美術団体に籍を置く、
ちゃんとした絵描きではない。
むしろ僕は、「知り過ぎない」ことに決め込んで来た。
いつだって「済みません、良く知らないんで教えて下さい」って言える方が、
曇り無く世界を観ることが出来ると思ってるからだ。

音楽活動にのめり込み、
広告宣伝やCG/Webデザインなど
周辺のクリエイティブ分野のシゴトから
回り道をして絵描きになって行った。

そんな僕は、必要以上に「訳知り」にならない方が、
美術や、美術以外の発想や視点を縦横に吸収して組み合わせて、
みんなに忘れられている美しさに、辿り着けるかも知れない。

ひとつの世界にだけしがみついているよりも、
その方がむしろ自然なことのように思えるんだ。

- - Empty Colours (AKIRA FUJITA) 2012年 - -



『希望の塔』

(2005年/2007年作品)
音楽、特にロックミュージックは藤田にとって非常に大きな存在です。作品にも、生き方そのものにも、非常に大きな影響を与えられました。僕は、鉛筆で音楽を描くことにしたのです。

音楽に興味を持ち始めた頃、
僕の家にはまともなオーディオ機器はなかった。
英語の学習用という名目で買ってもらった
初めての自分専用のラジカセで、
僕は貪るように音楽を聴いた。

音楽に教えられ、音楽に励まされ、
音楽に夢を重ね、音楽に癒された。
そして
音楽によって沢山の仲間たちと出会った。
今でも僕の中で音楽は回り続けている。

ラジオから電波は、
カミサマからの啓示のようなものだった。

- - Empty Colours (AKIRA FUJITA) 2005年 - -



『鳥を目指す玩具』シリーズ

2006年から制作している作品群です。特に説明を付けている訳では無いのですが、観て下さる皆さんにも作品に込めた想いが伝わるからなのでしょうか。『何らかの植物』と並ぶ人気のシリーズになりました。

全く不可能だということと、
単に困難だということとは、
全然意味が違うと僕は思う。

不可能と困難との僅かな狭間で、
不細工な玩具たちが大空を飛ぼうと試みる。
たぶん、
その多くは失敗に終わるのだろう。

でもゼロではない可能性を抱きしめて、
誤差であれ、例外であれ、幸運な偶然の作用であれ、
ちゃっかりやってのけちゃうやつも、いるかもしれない。
未来は誰にも断言できない。

謙虚に退場するのもよし。
失敗を恐れて悩み続けるのもよし。
皆んな好きにすれば良い。

ただ抜け目なく最初の一歩を踏み出さなければ、
永遠に飛ぶことない。
それだけは確かなのだ。

失敗する勇気をもって、
現実の世界へ飛び出して行くひとの姿を
美しいと、僕は思う。
そして最大限のエールを送りたい。

- - Empty Colours (AKIRA FUJITA) 2006年 - -



『月蝕』

(2005年/2012年作品)
星の世界のような、ひとりの人間よりも遥かに大きく大きく遠い遠い世界に想いを馳せると、自分の心配事なんか小さなものに過ぎず、どうとでもなるようなものに思えてきたりします。

古来世界各地で、月蝕という天体現象は不吉なことの前兆ととらえられることが多かったようである。

それでなくても月は日々神秘的な満ち欠けを繰り返す天体で、言うまでも無く、本当に月が欠けるのではなくて、月の光を覆い隠しているのは、僕らが立っているこの地球の影にほかならない。

 月はいつだってそこに在るのだ。

僕らが感じる不安や恐れのようなネガティブな観念も、その多くには明確な根拠や実体があるわけではない。それらもまた、僕ら自身の影が生み出しているものといえるかもしれない。

 僕らの前には、
 いつだって月が輝いている。

- - Empty Colours (AKIRA FUJITA) 2005年 - -





『星の声を聴く (Nebra Sky Disk)』

(2013年作品)
近年、テーマパークみたいな野外ミュージアムがあちこちに出来たり、「アートで町おこし」みたいなイベントをやっているのを良く見かけます。わいわいと楽しそうだし、特に若い作家さんにとっては良い機会だと思いますよ。

でもごく当たり前の平面作品を描いている僕には、あまり参加の余地が無いんだよね。
それと、
僕にとっては、アートや音楽はもっとパーソナルなものでした。

ココロの中に深く降りて行って、生き方や感じ方を教わったものでした。だから、楽しいお祭りみたいな感じのアートイベントは、他のひとの作品を観に行くのは良いんだけど、自分の作品が参加するとしたら、何だか場違いな気がしちゃいます。

オリコンやビルボードでNo.1になる最新のヒット曲も良いけど、通好みの名曲もあるじゃない。
言ってみればそんな感じで、僕は、僕の絵を描いて行こうと思う。

天文学と考古学とでは全然違う研究分野のようだけれど、例えば、
先史時代の石の遺跡が星の運行と関係がある建造物であることは皆さんも
ご存知のことだろう。

それに気付いて、
僕の興味対象は、意外とある分野に偏っていることに思い至った。
僕の想像力は原始人のそれに近いらしい。

人間の想像力は時に非合理で非因果的。
非科学的で矛盾も多い。
アタマで理解することと、ココロで感じることとの間には、
似ているようでいて、決定的な違いがあるように思う。

この世に分からないことは多い。
特に未来のことはなおさら
アタマで考えて分かるものではない。

ならば、
半熟卵のまま、ココロに感じるものを信じて
この世界に飛び出して行こう。

(静かに!静かに!)

 星の声は小さい。
 本気で聴こうとする者にしか、
 その声は届かない。

 それでも、
 星はいつだって道を示している。

- - Empty Colours (AKIRA FUJITA) 2013年 - -


YAMAMURA BISPOKE FRAMING
ヤマムラビスポークフレーミング



藤田作品の常設展示・委託販売をしていただいています。現状、展覧会以外で実物をご覧いただける唯一のスペースです!

〒432-8061
静岡県浜松市西区入野町14116-1
パレスかわぐち1F
電 話:053-440-5171
定休日:火曜(臨時休業にご注意下さい)
営 業:12:00〜20:00

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委託販売中の作品から

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