前回の「"hide-and-seek"展」(2005年11月 at Café ORGA'N SON : 静岡県浜松市東伊場)はカフェとのコラボとして、新旧の作品を織り交ぜて展示した企画展でしたが、今回は新作を中心とした個展です。くじけつつも描きました(半泣)。この夏、懲りずにまたやります!!

※注:本展は既に終了しています。このページは開催時の告知ページです。
"grayscale 3rd edition" 藤田明 鉛筆画展
お近くの方はぜひ。遠くのひとや忙しくて来れない皆さんも、出品作は会期終了後に整理してこのサイトでご紹介する予定です。いつになるかは怪しいもんですが、気長に待っててください。どうぞお楽しみに。(@_@)/

empty colours (AKIRA FUJITA):pencil drawings 藤田明鉛筆画展

「"grayscale" 3rd edition」について

今回は「"grayscale" 2nd edition 展 」(2003年8月:静岡県浜松市 Gallery Coty)までこだわってきたケルト文様や縄文土器、先史時代の美術をモチーフにした作品群はお休みして、後で述べるような特殊な描き方をした作品が多くなりました。お休みするだけで、ケルトをやめた訳ではないですからね、念のため(笑)。またそのうち。

モチーフとして何かを見ながら描いていくような描き方は、僕は元々出来ないしやってもこなかったのですが、「grayscale 3rd edition」展では、あらかじめ紙の中に埋まっているカタチを、鉛筆で発掘するようにして取り出した作品群にフォーカスした個展となりそうです。

アカデミックなデッサン力とか普通の美意識に基づいて描く作品ではないため、何か間違ってるように見えるかも知れません。花や人物のようなモチーフそのものが発する美しさや面白みはないかも知れません。偉大な民族の残した伝統なんかと並べると、てんで非力に見えちゃうかもしれません..

ところで、想像力とは立体的なものであると思うのです。
ちょうどサイコロのような。

僕がサイコロの「6」を凝視しながら描いていくと、やがて周辺に「2」や「4」があることが見えてきます。「6」は「6」だけで存在しているわけではないことに気づかされるのです。そんなこんなで描いた僕の絵を、他の誰かが見てくれると、そのひとは僕が思いも寄らなかった「1」を感じ取って、それを指摘してくれることがあります。

理解しているつもりでいた「6」についても、その「1」が背後にあるからこその「6」であったのだと、僕はあらためて教えられることになるのです。そのことは、次に僕が「6」を想うとき・見るとき・描くときに、うっすらとだけれど決定的な、何かの変化を期待しうるのではないか、などと思ったりするのです。

僕のことも今までの経緯も知らない人が、初めてこういう変な作品だけに囲まれたら、いったいどう思うだろうか、とちょっと心配でもあります。でも、いま僕がテサグリしているのは、なんか「そういうようなこと」らしいのです。

もし良かったら、是非会場で。
またはこのサイトで、感想を聞かせてください。

今回も、お楽しみいただけたらうれしいです。

フロッタージュ

凹凸のある物体に薄い紙を載せて鉛筆などでこすり、下の物体の姿を写し取る遊びがありますが、子供の頃に、コインなんかでやったことがある人は多いのではないでしょうか。これをマックス・エルンスト(Max Ernst 1891-1976 ドイツ生まれ)が発展させた絵画技法をフロッタージュFrottageと言います。

エルンストの絵画論・自伝『絵画の彼岸』には彼の幼年期の不思議な体験が語られていますが、僕にも似たような経験があって驚きました。熱でうなされているときに天井板の木目が不気味な生き物のように動き出すように見えたというなどと言う経験は、まさに僕の経験そのもののようで、とても親近感を覚えました。エルンストはこの体験をフロッタージュによってすくい取り、「博物誌」をはじめとする作品にしていきました。

その後もエルンストはコラージュやデカルコマーニュをはじめ様々な技法を考案・改良して、無意識の中のイメージを具体化したような作品を残しました。アンドレ・ブルトン、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリット、ジョアン・ミロ、イヴ・タンギーなどとともに、20世紀最大の芸術活動となった「シュールレアリズム」の中心人物として活躍しました。
エルンストはパウル・クレーやワシリー・カンディンスキーらとともに、僕が最も尊敬する画家です。

紙の無意識

フロッタージュは大変興味深い技法なのですが、紙がある程度薄くて滑らかでないと、下に置いた物体の凹凸をうまく拾うことができません。コピー用紙のようなものだとちょうどいいのですが、なんだかそれだけでは安っぽくなってしまいがちです。厚口で独特の紙の目がある水彩紙など「いい紙」を使うと、鉛筆はその紙との相性で豊かな表現が可能ですが、フロッタージュには向いていません。ここを何とかできないだろうかと考えていました。

あるとき失敗作を手でぐちゃぐちゃにしてやったところ、紙の汚れた部分にまったく別のイメージが見えるのを感じました。それは他の人にはわからないかもしれないようなあいまいでぼんやりとしたものでしたが、少しだけ鉛筆で描き足してやれば、あたかも始めから紙の中に埋まっていたイメージのように明確にすることができました。

水彩紙の表面には独特の斑紋があり、厚さや表面のコンディションは完全に一様ではありません。だから、何らかの汚れを付けてやると、偶然にできた引っかかりや濃淡のムラや汚しを付けた時の動作の痕跡などから、そこにはこちらであらかじめ描こうなどと思っていないイメージが見えてくるのです。考えてみれば、壁の汚れでも床のシミからでもその気になれば何かのカタチや風景を感じ取ることができます。

こうした感覚を全面的に信頼して、あらかじめ計画したり予測したりしたことを超えた絵を描くための方法、しかもただのめちゃくちゃでも純粋な抽象表現でもなくて、実際に紙の中に見えてくるものを描いてゆく方法。このことを、僕は「紙の無意識」と名づけたのです。言ったもん勝ちです(笑)。

初めて「紙の無意識」で描いた作品群のうち、「骨笛」・「ソラリゼーション」・「断層と褶曲」の3点を最初のgrayscale展(2003年)にこっそり出品しました。

水の無意識

「紙の無意識」の発見によって、自分の意識を超えた描き方ができる可能性が拓けそうに思えました。おそらくどこかで僕は好きな形や印象に残っている風景を、訳の分からない汚れに照らし合わせて解釈しようとしているのでしょう。

僕はどうも純粋な抽象絵画は向いていないらしく、得体の知れないものからも何かのカタチを選び取ろうとする性質があるようです。それによって、完全にめちゃくちゃで無秩序な作品になってしまうのではなく、危ういところで「僕らしさ」みたいなものが、辛うじて維持されている作品になっていくようにも思われました。

とはいえ、実際には紙の種類や汚し方を色々工夫しても、そこから感じ取るイメージには似たようなものが多いことも分かってきました。このやり方にも慣れと経験が積み重なってくると、似たようなセッティングでは、既に分かっている傾向に偏りが発生するようなのです。

そこで、忘れていた水彩鉛筆の導入を思い立ちました。

水彩色鉛筆がちょっとしたブームですが、その鉛筆版です。墨絵のように黒のグラデーションが美しく重なり合う水彩効果を期待して買ってみたものの...実際には鉛筆の芯は黒鉛と粘土を混ぜ合わせて焼いたものなので、薄汚れた灰色の汁ができるだけ。水彩やインクや墨の個性ある効果に比べて、なんか中途半端であまり好きになれず、ほったらかしておいたのでした。

しかし、紙に染込んでしまわなければ、乾いたあとでも消しゴムで消せることが分かったり、普通の鉛筆とほとんど材料が同じなので混在しても相性が非常に良いことに気づいて、これを「紙の無意識」の下地作りに転用することを思いついたのでした。

鉛筆は広い面積を一度に塗ったり、かすれやにじみを活かした表現には向きませんが、水性の画材にとってはそれらはまさに得意分野にあたるわけです。水彩鉛筆によって形成される下地は、鉛筆や鉛筆の粉などの乾いた画材によるものとはまったく異質のものです。そこでこれを区別して「水の無意識」と呼ぶことにしました。これも言ったもん勝ち(笑)。

「水の無意識」で描いた最初の作品群である「永久凍土」は前回のgrayscale 2nd edition展(2005年)にさりげに出品していました。

そのほか

この他、以前から描き継いでいる「何らかの植物」「鳥類図鑑」シリーズの新種、「希望の塔」などの続編を出品する予定です。

※注:このページは既に終了した展覧会の開催前に公開した告知ページであるため、実際の出品内容と記事が多少違うところがありますが、ご了承下さい。

で、最後に"開催要項"というやつ.. お気軽にお立ち寄り下さい。

なお、初日8/12(Sat)には近くで地元の佐鳴湖花火大会(雨天の場合は翌日に順延)があり、8/13(Sun)にはささやかなパーティを予定しています。
この両日は通常の営業日よりも遅く21時頃までギャラリーを開放しています。
どちらも無料です。誰でも歓迎です! (@o@)/「来なさい」

"grayscale 3rd edition" 藤田明 鉛筆画展

僕のサイトはリンクフリーです。
でももしよろしかったら当方にご連絡いただけると嬉しいです。
相互リンクを張ってお互いのサイトの発展に協力し合いましょう!
ただし、公序良俗に反する内容のものなどはお断りしますぜ。

バナーアイコンが要るときはこれ↓を使ってくだされ。

empty colours

(@_@) /「そおゆうことで、じゃ!」

[戻る]